2013年1月28日月曜日

ついにここまできた・・・


このところ、毎日オーストラリア・オープンにはまっている。
今日の男子決勝は接戦の上、コソボのジェコビッチがスコットランドのマリーに勝った。

しかしよく見ると、ジェコビッチのユニフォームはユニクロだった。
今までほとんどの選手はNIKEを身にまとっていたが、さすがユニクロを見たときは、ついに世界のスポーツ界に進出したかと「ウォー」と歓喜してしまった。

なんでもジョコビッチはユニクロのグローバルアンバサダーで、両者共同で子どもたちへの支援プロジェクトを立ち上げたためとか・・・
http://www.uniqlo.com/jp/corp/pressrelease/2012/10/101614_press_release.html


オーストラリアオープンは韓国のKIA車がメインスポンサーだが、 ユニフォームで日本が登場するのは新たな驚きでもある。
これからもユニクロ選手が出てくることもあるのかしら?

2013年1月21日月曜日

牛天気予報


数か月前にうちの隣の牧草地から牛が消えた。どうも種付けのためにどこかに送られたようで、しばらく牛がいない日々が続いた。今の暑い夏に動物がいないと、草がボウボウに生え、山火事の誘因にもなる。

そんな心配をしていたら、年明けにたくさんの新しい牛がやってきた。
「どんどん草食べてね」と願いながら、伸びた草の上をあちこち歩いているのを見て少し安心。

普段は立って、草ばかり食べている方たちだが、しかし今日はずっと座ったまま。
食べた草を反芻して、口をモゴモゴ動かしている。
ある格言によると、牛が立っていると晴れ、座ると雨が降る、とか。
確かに今日は曇りで何となく一雨来そうな気配。
このところ日照り続きだったので、おしめりが必要だね。

牛天気予報を当てにしている今日この頃である。


2013年1月17日木曜日

ブリゲードよ、いざ出動!


このところ、暑い日が続いている。年始に41度まで気温があがり、その翌日は18度と一気に冷えだして、体温調節が大変である。今日もメルボルンの気温は40度近くにのぼった。

オーストラリアでは、この夏、気温の高さとともに、山火事が多く発生している。今住んでいるビクトリア州でもあちこちに大小の火事が発生し、住民は皆、恐怖におののいて生活をしている。

実はMon mari はボランティアとして地域の消防団の隊員に晴れてなった。数か月にわたるトレーニングと、試験の結果、隊員としてめでたく合格し、ブリゲードのユニフォーム、ヘルメット、靴、そしてポケットベルが渡された。ユニフォームはオレンジ色で、ズボンは胸の下まで来て、サスペンダーでつるすスタイル。まるでケンタッキーのカーネルサンダースおじさんのようだ。火から体を守るには長いズボンが必要になるとか。この上にさらにオレンジのジャケットを着る。お世辞にもかっこいいユニフォームとは言えないが、これをもらった時のMon mari は子どものように喜んでいた。

今日も暑かったが、夕方には水と泡を調合してホースから給水するトレーニングがあって参加。疲れて家に帰ってきたら着替えずにすぐビールを手にしたく冷蔵庫に直行した。

このところ、毎日何度もポケットベルが鳴っている。「Today is total fire ban (火の使用全面禁止)」というのが何度も表示されたり、時々、「あなたは今、消火活動に一緒に来れますか?」というメッセージも来たりする。訓練では消防自動車に乗ったそうだが、Mon mari が実際に消火活動するのはちょっと想像できない。

消防団というと完全に男性の世界だが、オーストラリアでは女性の消防隊員も増えているとか。男性一色の世界から男女平等の精神のもと、各地域で女性の隊員を募っている。実は私も誘われているのだが、とてもじゃないけど肉体的にも知識的にもついて行かれないと自覚しているので、断り続けている。田舎のコミュニティなので人口も少ないから、もし順番で回ってきたらどうしよう、とひそかに心配している。私が下の写真の女性たちようにたくましく活動できるとは到底思えない・・・


2013年1月6日日曜日

祭りの終わり


新年あけましておめでとうございます。
この年末年始はオーストラリアにいて静かに、いつもの通りに過ごした。
しかし、南半球、というか暖かい土地でクリスマスを過ごすと、いまいちあの寒さの中のわくわく感とか、歳末のせわしなさが全く感じられない。
特に、サーフィンに乗ったサンタクロースとかを見ると完全な興ざめである(サンタクロースは絶対にそりにのるべきだと思う)。

そんなんでもやっぱり年末年始の行事はしっかりこなした。今日はそのご報告。

今年は友人も増えたので、家族と一緒にクリスマスを過ごさない近所の友人を呼んで8人ほどのパーティを自宅で行った。
七面鳥だけではありきたりなので、少しリキを入れてプロバンス風のテリーヌなど作ったが、けっこう好評で嬉しかった。


生まれて初めて七面鳥を買い、4キロの大型の鳥をオーブンで焼く。前の晩から塩づけ(ブライン)しておいたので、バサバサの七面鳥の悪評を回避するに値するジューシーでテンダーな焼き上がりになった(皿に置いた七面鳥を写真に撮るのを忘れたので、オーブンの中をご覧のこと)。


大晦日は近くというか、ちょっと離れたトニーさんの家の年越しパーティに呼ばれた。Mon mari とは消防団で一緒の友人。いつものたいくつな肉料理でなくバーベキューオーブンの上でパエリヤを作ってくれた。本場のスペイン人から教わった得意料理とか。午前0時には皆でカウントダウン、大きい線香花火をもって「ほたるの光(Auld Lang Syne)」を20人以上で大合唱。


 

明けて新年早々から、コミュニティのボランティアとしてホットドックを売って資金集めをする元旦を過ごした。少しはまじめな時間も過ごさないと罪悪感にかられるから・・・

その後、メルボルンにいる日本人の友人宅でまたまたバーベキューパーティがあり参加。日本人も多く来ており、当然ながら料理の質もぐんと上がった。こちらで日本人が経営する水産会社で働く人も来ており、彼が持ち寄った刺身をたらふく食べて大満足。しかしオージの焼き過ぎの固い肉と違い、日本人がバーベキューを作ると、本当に肉がジューシーで柔らかいのには涙が出る。


そして最後の締めは、またご近所のバーベキュー(オージーは本当にバーベキューが大好き)。
ウォーキング仲間で知り合ったジュリーの誕生日ということで、昨日呼ばれた。私はこちらでポピュラーなバラマンディという魚を持って行き、バーベキューの上でホイル焼きしてもらった。味はまあまあかな。可もなく不可もなく、といったところ。



ジュリーの庭には紅葉を思わせる深紅の木が満開。何という名前の木か忘れたが、日本の秋が来たかと錯覚させられた。
ベチャベチャと近所のゴシップに花を咲かせて団らんは盛り上がる。

ということで、今回の年末年始の祭りは終わった。よく飲んで食べて、話した休日だった。
さて、明日からBack to the normal life である。やることが山積しており、頭が痛い。遊びほうけたあとのツケ。これから暗ーい、抑うつ気分の時間旅行に突入する。

2012年12月18日火曜日

歩く会


家の近所のお店で働くエマから、ウォーキングに誘われた。地元のウォーキンググループの人たちは健脚だろうから、私はしばらく遠慮していた。が、ついに「大丈夫、10キロ以内だから、お昼食べて解散よ」と言われ、恐る恐る参加した。

我が家の近くのジョハナビーチから7-8キロかけてミラネシアビーチまで約3時間半、最後にランチをして午後2時前に解散。少し急坂とかあったが、何とかみんなについていけた。
今回はエマを筆頭に、常連のアリスタとジュリー夫妻、娘のアリサを背負子に背負ってきたリンゼー、そして私とMon mari。ジョハナビーチを背にしてワンショット。

少し離れた小高い丘から見るジョハナビーチは壮観。


途中でみつけた「Knowledge Track (知識の小道)」という粋な名前の道。
いいよね、こんな住所に住むなんてかっこいい、と皆で羨望。もし次に家を建てるならここだな、という冗談話まで出た。

 

さらに歩いていくと、ある家の前に不思議な人形がある家をみつけた。
そこのオーナーのブライアンは人形を作るのが趣味とか。蝋人形ではなく、石などの固いもので顔を作って胴体は木やわらを使っている。


みんなでブライアンと歓談。彼の家の庭や人形づくりの作業場を見せてもらい、Mon mari のバイクどころでない趣味の深さとこだわりに驚く。
実はブライアンと、アリスタ夫婦は60年代にオーストラリアに来た「ワンパウンド・ポム」という英国人。当時、オーストラリアは技術者が不足していたので、1ポンド払えば、英国人がオーストラリアに移住できます(交通費は豪政府負担)、というふれこみでさまざまな分野の技術者の受け入れプログラムがあって、それを1ポンドポム(ポムは英国人の意味)と言ったそうだ。ブライアンは60年代半ばだったので船で、アリスタ夫妻は飛行機でオーストラリアに入国した最初の1ポンド英国人そうだ。そんな懐かしい思い出話も盛り上がった。


 アリサはさすがに背負子に飽きてしまい、ついに歩き回った。



地域散策にはとてもよいウォーキングだった。人々の生活なども垣間見られる
次のウォーキングは2月に開催とか。何とか少し体を鍛えて頑張って参加してみよう・・・

2012年12月13日木曜日

うちの研究室


最近モナッシュ大学の研究室で非常勤研究員として働き始めた。
メルボルン大学のウィメンズヘルスで学んだ時の先生方がモナッシュに移り、研究ユニットを立ち上げたので、大好きな先生を慕ってダメもとで門を叩いたら、一緒に働きましょうというまたとない有難いお返事をいただいた。

先日、「戦略ミーティング」たるものが、郊外のビーチハウスを所有しているカリンの家で開かれた。総勢14人。先生はオージー、南ア、スェーデン人で、その他、アジアからの短期研究生と博士課程の学生。皆、興味深いテーマで研究している。オーストラリアの女性に関する研究が多いが、最近は途上国や異文化研究も進めている。スェーデン人のカリン先生は、「貧困国の不妊症の女性に対する差別と暴力」について論文を書き上げて近々出版されるとか。興味深いので、ぜひ読ませてもらいたいと思った。

ウィメンズヘルスというとまさに女の城。でも一人だけ、ベトナムから来た博士課程に在籍する男性がいる。女性の健康は女性だけの問題でなく、男性も学ぶことは性差医療への理解をさらに深める。特に途上国の男性が学ぶことは意義深いと思う。黒一点でも彼はものおじなく、女性の中に自然に溶け込んで歓談しているのが不思議。頑張って、博士を終えてほしい。

このミーティングで話された内容の一つ。
「来年はユニット(個人単位は別)で、論文を2か月に一本は書くように目標を定めましょう!」 。
先生たちの論文の数には圧倒される。所長のCVは50ページにも及ぶ。学者とはすごいものである。私のCVなどは恥ずかしくて廃棄処分にしたいほど。

私も先生たちの足元に少しでも近づけるように来年はがんばろう。

2012年12月5日水曜日

おめでとう!


親友のキースとリンダの家にしばらく下宿していたフィリピーナのノナリサとチェリー。
彼女たちはメルボルン大学の修士課程で学び、このたび晴れて卒業となった。
そのお祝いにリンダがパーティを開き、私たちと仲間のヒューイと奥さんのジュー(マドゥラ人)が呼ばれた。
ノナリサ(左の真ん中)は人材開発の分野、チェリー(左最前)は教育学を専攻。
二人とも、AusAID(オーストラリア国際開発庁)からの奨学金で学んでいた。AusAIDはアジア太平洋地域から多くの修士や博士の学生を招聘している。

奨学金は基本的には開発に従事する人材を養成し、本国に貢献することを目的としているが、驚いたことにノナリサたちによると、AusAIDから奨学金を受けた学生は卒業後2年間はオーストラリアに入国できないのだそうだ。つまりオーストラリアで学んだ後にオーストラリアに居住したり職を得ることを阻止する政策なのだ。欧米で学ぶと拍づけになり本国に戻らず海外に留まって就職を希望する者が多くなるため、本国への貢献にならず、頭脳流出という皮肉な結果をもたらす。
このような事にならぬよう、学んだあとはきちんと自分の国に戻り地域のために働きなさい(少なくとも2年は)という意味が含まれている交換条件なのだ。

ノナリサとチェリーはフィリピンに帰って元の職場に復帰することを楽しみにしている。 でもチェリーは娘がオーストラリアに住んでいるので、いづれはこちらに戻ってきたいという本音もちらっと漏らしていた。