2011年12月30日金曜日

オージー産

日本でオージー産というと、牛肉を思い出す。
しかしそれ以外にもオージーで産まれて世界的に有名なものがいくつかある。

その一つが物干し。
四角形になって、各コーナーに5-6連の紐がついている。くるくる回るので、1箇所に立っていながら全てのコーナーに洗濯物を干すことができる。風によって自然に回転するので、すべてのコーナーに陽があたる。傘のように閉じることもできるし、高さの調節もできる。
これを「Hills Hoist (ヒルズ・ホイスト)」と呼ぶ。
オーストラリア人のヒルズという人が発明したもので、翻訳するとヒルズさんのつるし上げ式物干しともいうのかな?
英国などでも結構人気があって使われている。ただし、庭などある程度のスペースがある所での設置になるので、日本ではあまりポピュラーではない。
このクリスマスには、このヒルズ・ホイストをクリスマス・プレゼントにもらった・・・(あまりロマンチックな代物でないが)。かなり重宝している。

もうひとつ、世界的の有名なオージー産代物。
世界を旅する人がよく知っている旅行ガイド、Lonely Planet(ロンリー・プラネット)。
本社はオーストラリアのメルボルンにある。
会社はもともと、英国人の夫とオージーの妻が貧乏旅行を始めたのがきっかけで立ち上がったとか。しかし、数年前にBBCが買収し、実質的なオーナーになってしまったが、長らく英豪夫婦の会社だったので、今でも情報発信の本拠はメルボルンになっている。

地球の歩き方とロンリープラネット、どう違うのか?
ある人によると情報量がかなり違う。前者は下請けに任せるが、後者はそれぞれのエキスパートを採用し細部にわたって網羅するので情報がより豊富。前者はどうしても日本人からの情報なので、行き着くところで日本人に会うことが多いが、後者を利用して旅するとは欧米人に会う機会が多いらしい。

ということで、ヒルズ・ホイストとロンリープラネット、牛肉と同様、知る人ぞ知るオージー産でありました。

2011年12月25日日曜日

半年の成果


このクリスマス休暇はビザの関係で近隣国のバリ島かニュージーランドあたりに出国する予定であったが、移民局から特別に「ブリッジ・ビザ」というのが発給され(ラッキー!)、引き続き留まれることになり、年末年始はオーストラリアにいることになった。

7月の上旬にダウンアンダーに来てほぼ半年。怒涛の日々だった。田舎の家を居住可能にするための準備や設営、そして家のメンテなど、奔走に明け暮れた。最初は寝袋とエアマットレスでほぼ野宿状態からスタートした家はそれなりに格好がついてきた。まだダンボールの箱は所々に積んであるが、それはもう少し時間をかけて片付けるようにしよう。

今日はクリスマス。パリでは町に取り残されて一人で過ごす友人を招いてクリスマス・ディナーをやったが、田舎ではそんな人はいない。ほとんどの人は家族とともに過ごす。今年はそんな友人たちもいないので私たち二人だけのクリスマス。気温25度。やっぱりクリスマスは寒くないとあのワクワク感が全く生まれない。

オーストラリアに住み始めるまではなぜかこの国がそれほど好きになれなかった。正直、この国に移住するということに落ち込んだ時期もあった。特に欧州に住んでいると、文化や歴史に乏しい国はつまらなく、退屈に感じる。また食べ物文化もたいしたことない。世界の中心からすごく遠く離れているようにも感じて、自分も一緒に取り残されていくような不安感もあった。
でも住み始めて少しずつこの国を知るようになり、自分なりにこの社会に溶け込んでみようという気持ちが涌いてきた。そうすると、ここに住むのがそんなに苦でなくなった。歴史は浅いけど、ユニークなオーストラリアの文化は確固として存在する。オージーマインドが少しずつ自分の中に入り込んで消化し始めている。

大好きとはまだ言えないけれど、自分の人生の一部になりつつある国。そんな所の暖かいクリスマスで、いつもとは違う思いをめぐらした。

2011年12月17日土曜日

眠るタンポポ


朝10時。このところ、庭の草刈をさぼっていた。夏は2週間放置すると、あっという間に藪状態になってしまう。
しかし今日、バルコニーに出ると草ボウボウとともに、まっ黄色の様相。昨日までこんなんじゃなかったのに。
いったい何これ?

よーく見ると、タンポポの大群。
一晩で一面、タンポポ畑になってしまった・・・
道端に咲く一輪や二輪のタンポポは可憐だけど、この大群はかなり脅威的。可愛さとはほど遠い。

Mon mariに草刈機で早く刈ってよ、と一応言っておいた。


夕方5時半。
バルコニーから見ると、何故か黄色い庭はいつもの緑色に戻っていた。
草刈りしてくれたんだわ、と思いきや、よく見るとまだ草はボウボウ。


いったい、タンポポはどこにいっちゃったのかしら?
一人で騒いでいたら、Mon mari は「夜になるとエネルギーを温存するために、花が閉じるんだよ」
とのこと。
都会育ちの私は全く知らなかった。
タンポポは昼は黄色に開花し、夕方は花閉じて眠る。そして翌朝はまた真黄々になっていた。
生物のたくましさをまざまざと見せつけられた一日だった。

2011年12月8日木曜日

うちの近所

田舎のわが家はグレート・オーシャン・ロード沿いにある。この道路は海岸線から始まり、亜熱帯雨林(レインフォーレスト)の地域に入り、また海岸線へとつながっており、全長240キロにもわたる壮大なドライブコースである。

先週、英国から友人が遊びに来た。彼はガイドブックは持ってきてなかったが、彼の母親から「死ぬ前に見ておきたい100の場所」という本をプレゼントされ、その中にグレート・オーシャン・ロードが入っていたので、ぜひ訪ねてみたいと私たちに言った。

普段は近いせいもあり、私たちは地元をあまり観光しない。でもこうして来客があると案内するので、地元探索をするいい機会になる。

森林の中には多くの滝がある。静寂の中でダイナミックに流れる滝。時には心身の安定のためにこのような場所に来るのもいいものだと改めて思った。この滝の下で瞑想なんていうのもオツなものかも。


途中、ユーカリの木の上でコアラくんたちが昼寝をしていた。顔を隠しているので、よく見えないが、1匹が木の上にいると、観光客たちが車を止めて、写真を撮る。私も地元民ながらしっかりカメラを手にした。


そして、グレート・オーシャン・ロードの目玉はなんといっても、奇岩がそびえ立つ「12の使途」。
今日は天気がすごくよかったので、絶景、まるで絵葉書のような写真が撮れた。 しかし岩の侵食が進み、だんだん欠けて、今は8つか9つの岩になったとか噂を聞いた。実際に岩の数をかぞえたわけでないが、もし減ってきているとしたらもはや12の使途とは言えないね・・・


奇岩群の最後にある有名なロンドンブリッジ。昔は左の崖と右の岩がつながっていたので、ロンドン・ブリッジと呼ばれていた。しかしある日、カップルがブリッジを渡り、岩の先端に行って遊んでいるときに、このブリッジが崩れ落ちた。カップルは先端の島となった場所に取り残され、陸に戻ることができなくなった。最終的にヘリコプターで無事に救出されたそうだ。この話は今でも語り継がれている有名な話。

ということで、うちの近所のご紹介でした。もし機会があったらあの世に行かれる前に、ぜひグレート・オーシャン・ロードにお越しください。

2011年11月26日土曜日

オペラに長靴?


うちの近くのCape Otway という所に灯台がある。オーストラリアで最初に作られた灯台。南オーストラリアのバス海峡は荒い海で、英国からやってきた多くの移住船は難破した。それで、陸を示す明かりが必要になり、その昔に灯台が建てられた。

何の話かと言うと、この歴史的な灯台のふもとで、「オペラ」が開催されることになった。もちろん、野外で、灯台と美しいパス海峡を見て、音楽を聴くという興行。予定では写真のような感じで催しされるはずだった。

ところが当日は大雨、どしゃぶりと強風。とても灯台のふもとでオペラなんていうどころでない。主催者は場所を隣町の学校の体育館に変更した。体育館とはちょっと興ざめ、灯台ときれいな海を見てオペラ鑑賞をできなかったのは残念だが、とてもよい音楽を鑑賞できた。

 
前座は、The Stiletto Sisters' というメルボルンベースのジプジーミュージック専門の女性バンド。ブタペストにもいた人たちらしく、東欧の雰囲気満開だった。このグループ、かなりお奨め。

 
  
会場は満席。椅子が足りなくなると、わらをどこからか持ってきて、それに座って鑑賞している人もいた。さすが、田舎は知恵を絞って活用する資源がたくさんある。


大雨だったので、実は私たちはいわゆるゴム長靴を履いてきた。オペラに長靴で来た人は多分、私たちだけだろう。まったく、恥も外見もあったものじゃない・・・



 私の隣に座った人は、「オペラ・ゴーアー」といういわゆるオペラフェチ。黒ずくめのスーツに黒い帽子をかぶった団体がいた。彼らの靴はきちんと磨かれた革靴、そして正装。この差、大きい。正直、やっぱり私は恥ずかしかった・・・

オペラの管弦楽団はステージのふもとでなく、ステージ上で演奏、観劇ではなく、あくまでも歌の披露で、4人の男女のオペラ歌手はすばらしい歌声を披露してくれた。

田舎にオペラ、オペラに長靴・・・ なかなかの体験であった。

2011年11月18日金曜日

こだわりの仕方


メルボルンのボロ屋敷を改修するために、近くの建具屋に足を運んだ。建具屋と言っても日本とはちょっと異なる趣き。要は、古い窓(枠)やドアを売る専門の店。


古い物の愛着を持つ人は、限りなく昔様式のものを追求する。日本ではまず考えられない。古い様式の家でも窓や扉がこわれたら、日本では新しいものに交換することはあっても、中古の昔風の窓や障子などを探して取り付けたりすることはまずない。オーストラリアや欧州の人の古いものへのこだわりは、日本ではありえないことだと思った。


こんなどこにでもあるような古い窓も443ドルもする。サッシにしたほうが安いんじゃない?


ちょっとしたデザインが入ったドアだと1330ドル。これが100年物とかになるとケタが一つ増える。こんな古い建具が山となって売っている。この店はもう数十年も営業をしているので、明らかに顧客がいてビジネスが成り立っているのだ。私たちは結局何も買わず、店を後にした。


帰りにスーパーに寄って、晩御飯の買い物をする。初めて買ったカンガルー肉。焼きすぎると硬くて歯が立たないが、レアからミディアムにすると、それなりにおいしくできた。ものは試しというレベルの食べ物・・・

2011年11月6日日曜日

フッティーは宗教?

オーストラリアには、「オージーフットボール」、俗に「フッティー」と呼ばれる競技がある。世界的にはあまり知られていないが(私もこの国に来るまでこの競技の存在は知らなかった)、オーストラリア、特にビクトリア州をはじめとして南部や西部の州では盛んである。サッカーやクリケット以上に人気があり、国技といっても過言でない。ルールは、サッカーとラグビーを混ぜ合わせた感じで、とにかく飛んだり跳ねたり、動きの激しい競技で、最初はなぜかこっけいにさえ見えた。
ビクトリアに住む人は皆、どのチームのサポーターかを決めねばならない。私もどこのチームかを何度か聞かれた。「そんなの知るか・・・」と心で思いつつ、笑いながら「まだこの国に来たばかりなので検討中です・・・」とお茶を濁していた。

1ヶ月ほど前に今期の決勝戦があった。コリンウッドとジーロン・ キャッツの対戦。最初の5分だけテレビで観戦してから、飽きてしまい最後まで見ることはなかった。結果はジーロン・キャッツの勝利。

うちのお隣のマークとロズはジーロン・キャッツのサポーター。とにかく週末は応援にでかけるため忙しく家にいない。で、今年はジーロンが優勝したので歓喜極まり、「この1年のお礼」ということで、先週末に隣人を集めてお祝いのバーベキューが盛大に開かれた。私たちはどのサポーターでもないのだが、まあとりあえず、どんな様子なのか興味あるので顔をみせることになった。

皆がフッティーの話に花が咲いているときに、私はついていかれないのでバーベキュー係りになってしまった。

ロズちゃん、もう嬉しくて酔っ払って、最高の気分。
彼女は英国人なのだが、やっぱり10数年前にオーストラリアに住み始めたとき、フッティーを見て変なスポーツと思い、2-3年は興味がなかったらしいが、今では猛烈なファンになっているそうだ。

祭りの終わりに、ジーロン・キャッツの応援歌をマークとロズが歌って、お開きになった。
最後にマークから「君はもうジーロンのメンバーだからね」と言われてしまった。
フッティーはオージーの宗教、そして私はこの宗教に入信させられてしまった。
これからは少しずつ時間をかけて、ルールを勉強してみようかな・・・

2011年10月27日木曜日

本当は知りたいのに・・・


去年、大きな話題を呼んだ、ウィキリークス(Wikileakes)。
匿名により政府、企業、宗教などに関する機密情報を公開する告発サイト。
創始者のジュリアン・アサンジは性的暴行容疑で逮捕されたが、要は彼を陥れるための政治的な謀略にはまったのだろう。彼の業績は評価されている面もあり、アムネスティ・インターナショナルの国際メディア賞を受賞している。

ウィキリークスを支援しているのは一般の人たちからの寄付金。ところで知らなかったのだが、昨年、Visa, MasterCardなどのクレジットカード会社、PayPalなどの決済大手会社がウィキリークスへの送金業務を拒否してしまった。で、現在、彼らはどこに資金を送ってもらっているかと言うと、オーストラリア郵便局、メルボルン大学支店の口座なのだそうだ(アサンジは昔、メルボルン大学で学んだので、彼の口座がまだあるのだろう)。つまり今では海外送金をしてもらわねばならなく、当然寄付者は面倒なので、だんだん資金が枯渇してきている。

先日、アサンジはロンドンで、 記者会見を開き、資金不足を理由に活動を中断すると発表した。記者会見では、VISA、MasterCard、Bank Of America、PayPalのロゴを逆に印刷した壁紙を背景に、アサンジ氏が「活動を将来につなげるために、すべての公開活動 を中断し、経済封鎖との戦いと資金調達にすべてのリソースを集中しなければならない」と語った。

政府や企業の機密、特に不正や汚職、人権の乱用などに関する情報が公開される手段が一つ減るのは残念だが、リークする人の職業生命や倫理的な側面にもかかわるので、難しい問題でもある。
でもやっぱり一市民として、本当はトップ・シークレットというか隠れた事実は知りたいな・・・

2011年10月24日月曜日

大好きルーニ

オーストラリアの ルーニ(Leunig)という人の4コマ漫画が大好きである。内容だけでなく、ルーニ自身を表していると思われる人物がなんとも言えず愛らしく、ほのぼのとした気分になる。
先日の4コマは思わず爆笑。自分にもよくあることなので、とても参考になった・・・

 "神とともにいる友へ
私はあなたと愛をもちたい悲しいプリンセスですが、あなたの銀行の詳細情報が必要
です。そうすれば私はあなたに、770万ドルの遺産を送金することができます。"


 "私はサマンサです。
あなたは私のことを知りませんが、実は私はガンでもうすぐ死にます。
私はあなたに恋しています。どうかあなたの銀行の詳細情報を教えてください。
そうすれば私はあなたに900万ドルを送金することができ、幸せに死を迎えることができます。"

"当選のお知らせ
おめでとうございます!
あなたは英国宝くじで600万ポンドに当選しました。
つきましては、あなたの銀行の詳細情報をお知らせください。そうすれば、当選金を送金
いたします。"


"ありがとうございます。私の銀行詳細情報は以下の通りです。
磁器でできており、ピンク色をして、とんがった耳がついていて、ねじれたしっぽがあり、
短い4本の足と、背中に細長い挿入の穴があります。"

ははは・・・ 豚貯金箱が銀行なんですね。

2011年10月23日日曜日

悩める古屋敷


メルボルンにあるもう一軒の我が家。築100年のエドワード調の小さな古家。ヨーロッパではこの程度の古さはそんじょそこらにたくさんあるけれど、開拓以来200年そこそこしか経っていないオーストラリアでは相当なボロ屋敷の部類に入る。
Mon mariは欧州人なので、古い家が大好き。築100年の家というのはこの国ではとても自慢できるよう。とはいえ、古い家はとにかくメンテに時間、お金、エネルギーがかかる。それを楽しみにしているのも欧州人の特徴。私にははるかに理解できないマインド。


どれだけ古いかという証拠の一つは、家の脇にある小さな穴。何かと思って聞くと、昔は下水が整備されてなかったので、この穴からトイレの汲み取りをしていたそうだ。日本も昔、田舎にいくと、汲み取りのおじさんが桶をかついでいたり、少し進化すると汲み取りトラックが来たりしていた。どこの国も同じなんだな、とつくづく思った。


家の中に入ると、すぐリビング・ダイニング。Mon mari が購入、入居してからリフォームし、コンサバトリー風に作りかえた。日中は陽がさんさんと入るので過ごしやすいが、その他の部屋は何となく暗め。


猫の額ほどの小さなお庭。ここで野菜とかハーブを植えて、家庭菜園でもしようか・・・



リビングの壁はレンガでできている。よくよくみるとレンガの間のセメントが剥がれ落ちている。
こんな状態だと冬には隙間風が入って寒い。



さあ、これから壁の修理と、床の塗り替え、二重窓の設置など、たくさんのリフォーム予定が入っている。これが終わってから、田舎の家に到着したパリからの荷物の山を運ぶことになる。落ち着いた生活にたどりつくにはまだしばらくかかるかもしれない・・・・

2011年10月16日日曜日

コンテナ到着


7月はじめにパリを離れた。大騒動の引越しだったが、なんとか3ヵ月後にこのビクトリアの田舎の家に荷物がたどりついた。巨大コンテナを1台で運ぶのは無理らしく、大型と中型のトラック2台で運ばれた。


さあ扉を開けて、いよいよ作業開始。


大きく重い荷物もたくましい男性三人が丁寧に運んでくれた。
ちょっとダークな若い男性たち、「出身はどこ?」と聞いたら「ニュージーランド」と。
3人ともマオリ族の血を引いていて、マオリ伝統の刺青を入れており、見かけはごっついけどちょっとシャイで穏やかな人たちだった。


リビングはご覧のように箱の山。ソファもテーブルも置けない状態。


2人が座る書斎も箱だらけ。ここでとうやってデスクワークがができるのか・・・?


翌日、少しずつ箱を開けて整理、収納を始めたが、遅々として進まない。箱を開ければ開けるほど、部屋がちらかっていく・・・・ 2つ3つの箱を片付けると疲れて集中力が低下して休憩。思うようにはかどらない。


寝室もご覧のとおり物が散乱状態。快適安眠どころでない。
これから2-3ヶ月くらいかけてこの荷物と格闘することになるだろう・・・

2011年10月9日日曜日

労働は続く・・・

しばらくIncommunicadoでした。田舎の生活は退屈なんだけど忙しい。

先日は電話線を引くために側溝を掘り上げる作業の人が来た。彼は穴を掘って、ケーブルを設置をしてくれたが、そのあとの土を盛り返すのは私とMon mariの仕事。土はすごく重く、穴埋めがこんなに大変とは思わなかった。

その後は生い茂った木の伐採。前回に防災の話しをしたが、時々手入れをして生い茂った木を切らないと火事になったらすぐ家に燃え移る。

 チェーンソーで頑張って真ん中あたり切ろうとする。
 切れ目をいれてもいっこうに倒れない。すごい頑固な木。

結局1日まってもうんともすんとも言わないので、翌日、無理やりロープで一本の枝を切る。これだけでもこい1時間かかる。

チェーンソーの音がうるさいので、それにひきつられて、隣の牛どもが「何やってんねん?」と、いつものごとく見に来る。なのでこっちも近寄って、彼女たちをじーっと観察した。

突然、おしっこをし始めた子。そうしたら、隣の子もその隣の子もツレションで、放尿オンパレード。これって、わたしをからかっているのかしら?そうこうしているうちに別の子はウンチを始めてしまった。この後、彼女たちは糞尿で湿ったの地面に口をつけて、もごもごと自分たちの排泄物まみれの草を食べ始めた・・・ 見てて気分が悪くなった。

この子はずーっと鼻をたらしていた。鼻炎かインフルエンザなのかしら。四本足なので、鼻をかむこともできずにちょっと不憫。早くよくなってね!