2012年12月18日火曜日

歩く会


家の近所のお店で働くエマから、ウォーキングに誘われた。地元のウォーキンググループの人たちは健脚だろうから、私はしばらく遠慮していた。が、ついに「大丈夫、10キロ以内だから、お昼食べて解散よ」と言われ、恐る恐る参加した。

我が家の近くのジョハナビーチから7-8キロかけてミラネシアビーチまで約3時間半、最後にランチをして午後2時前に解散。少し急坂とかあったが、何とかみんなについていけた。
今回はエマを筆頭に、常連のアリスタとジュリー夫妻、娘のアリサを背負子に背負ってきたリンゼー、そして私とMon mari。ジョハナビーチを背にしてワンショット。

少し離れた小高い丘から見るジョハナビーチは壮観。


途中でみつけた「Knowledge Track (知識の小道)」という粋な名前の道。
いいよね、こんな住所に住むなんてかっこいい、と皆で羨望。もし次に家を建てるならここだな、という冗談話まで出た。

 

さらに歩いていくと、ある家の前に不思議な人形がある家をみつけた。
そこのオーナーのブライアンは人形を作るのが趣味とか。蝋人形ではなく、石などの固いもので顔を作って胴体は木やわらを使っている。


みんなでブライアンと歓談。彼の家の庭や人形づくりの作業場を見せてもらい、Mon mari のバイクどころでない趣味の深さとこだわりに驚く。
実はブライアンと、アリスタ夫婦は60年代にオーストラリアに来た「ワンパウンド・ポム」という英国人。当時、オーストラリアは技術者が不足していたので、1ポンド払えば、英国人がオーストラリアに移住できます(交通費は豪政府負担)、というふれこみでさまざまな分野の技術者の受け入れプログラムがあって、それを1ポンドポム(ポムは英国人の意味)と言ったそうだ。ブライアンは60年代半ばだったので船で、アリスタ夫妻は飛行機でオーストラリアに入国した最初の1ポンド英国人そうだ。そんな懐かしい思い出話も盛り上がった。


 アリサはさすがに背負子に飽きてしまい、ついに歩き回った。



地域散策にはとてもよいウォーキングだった。人々の生活なども垣間見られる
次のウォーキングは2月に開催とか。何とか少し体を鍛えて頑張って参加してみよう・・・

2012年12月13日木曜日

うちの研究室


最近モナッシュ大学の研究室で非常勤研究員として働き始めた。
メルボルン大学のウィメンズヘルスで学んだ時の先生方がモナッシュに移り、研究ユニットを立ち上げたので、大好きな先生を慕ってダメもとで門を叩いたら、一緒に働きましょうというまたとない有難いお返事をいただいた。

先日、「戦略ミーティング」たるものが、郊外のビーチハウスを所有しているカリンの家で開かれた。総勢14人。先生はオージー、南ア、スェーデン人で、その他、アジアからの短期研究生と博士課程の学生。皆、興味深いテーマで研究している。オーストラリアの女性に関する研究が多いが、最近は途上国や異文化研究も進めている。スェーデン人のカリン先生は、「貧困国の不妊症の女性に対する差別と暴力」について論文を書き上げて近々出版されるとか。興味深いので、ぜひ読ませてもらいたいと思った。

ウィメンズヘルスというとまさに女の城。でも一人だけ、ベトナムから来た博士課程に在籍する男性がいる。女性の健康は女性だけの問題でなく、男性も学ぶことは性差医療への理解をさらに深める。特に途上国の男性が学ぶことは意義深いと思う。黒一点でも彼はものおじなく、女性の中に自然に溶け込んで歓談しているのが不思議。頑張って、博士を終えてほしい。

このミーティングで話された内容の一つ。
「来年はユニット(個人単位は別)で、論文を2か月に一本は書くように目標を定めましょう!」 。
先生たちの論文の数には圧倒される。所長のCVは50ページにも及ぶ。学者とはすごいものである。私のCVなどは恥ずかしくて廃棄処分にしたいほど。

私も先生たちの足元に少しでも近づけるように来年はがんばろう。

2012年12月5日水曜日

おめでとう!


親友のキースとリンダの家にしばらく下宿していたフィリピーナのノナリサとチェリー。
彼女たちはメルボルン大学の修士課程で学び、このたび晴れて卒業となった。
そのお祝いにリンダがパーティを開き、私たちと仲間のヒューイと奥さんのジュー(マドゥラ人)が呼ばれた。
ノナリサ(左の真ん中)は人材開発の分野、チェリー(左最前)は教育学を専攻。
二人とも、AusAID(オーストラリア国際開発庁)からの奨学金で学んでいた。AusAIDはアジア太平洋地域から多くの修士や博士の学生を招聘している。

奨学金は基本的には開発に従事する人材を養成し、本国に貢献することを目的としているが、驚いたことにノナリサたちによると、AusAIDから奨学金を受けた学生は卒業後2年間はオーストラリアに入国できないのだそうだ。つまりオーストラリアで学んだ後にオーストラリアに居住したり職を得ることを阻止する政策なのだ。欧米で学ぶと拍づけになり本国に戻らず海外に留まって就職を希望する者が多くなるため、本国への貢献にならず、頭脳流出という皮肉な結果をもたらす。
このような事にならぬよう、学んだあとはきちんと自分の国に戻り地域のために働きなさい(少なくとも2年は)という意味が含まれている交換条件なのだ。

ノナリサとチェリーはフィリピンに帰って元の職場に復帰することを楽しみにしている。 でもチェリーは娘がオーストラリアに住んでいるので、いづれはこちらに戻ってきたいという本音もちらっと漏らしていた。

2012年12月1日土曜日

やったね!



Mon mari のバイク狂いについては何度もブログで書いたが、およそ13-14台はあるクラシック・バイクはいつも倉庫に眠っている。なにせ、ほとんどオンボロなのでいつもしこしこ修理したり部品を変えたりして少なくともエンジンは動くように試している。
さすがに宝の持ち腐れとなっていると自覚しているのか、バイクを走らせたくなったようだ。ただし、クラシックなので、車検を通してナンバープレートをもらわないと一般の路上は走行できない。なので、それができない場合は、レース場に持って行って、レースに参加するか、もしくは練習のコースに参加して機械と自分の腕試しをするしかない。

実は2-3か月前に練習コースに参加したのだが、いざ練習を始めようとしてレザーのつなぎを着たらあまりにもきつくてお腹のあたりのジッパーが壊れてしまった。このため練習コースには参加できず、恥ずかしながらも主催者から参加料を返金してくれたとか・・・

今回はレザーが着れるようにちゃんと調整し(少しのダイエットと、レザーを若干伸ばした)たので、何とかクリアできた。

バイクを置いて、準備する車庫。Mon mari は2台、持ち込んだ。



家族連れも多い。サイドカー(二人乗りのバイクカー)で遊ぶ子どもたち。


さて、いざ出陣。

何とかエンジンもスタートして、恐る恐る発進。何とかスタートラインは過ぎたが、トラックを5-6周くらいするものの、途中でエンコしないか冷や冷や。



なんと今回は問題なく完走。ごきげんで戻ってきた。
今回の練習で自信がついたのか、1月の中旬の練習レースにも行くと言い出した。付き合うこちらは大変である。


持ってきたバイクを再びトレイラーに積んで、家路に向かう。
まったく、なんと大騒ぎな趣味なことか・・・


2012年11月16日金曜日

違法性でなく道徳の問題


この間見たテレビのニュースで知った意外な事実。
グーグル、アマゾン、スターバックスは、英国で租税回避をしており、英国議会の公的会計委員会でつるし上げられた。
これらの3社は米国に本部を置くものの、多国籍企業化しており、その会計システムはかなり複雑に処理されている。議員から3社の英国での利益に関して疑問が投げかけられた。

例えば、スタバはこの過去3年間法人税を払っておらず、同国に進出してからの15年間の大半で損失を計上している。こんなに損失を出していながら「何故、英国に留まり、ビジネスを継続しているのか?」というマーガレット・ホッジ女史の詰問は理にかなっている。
またアマゾンの昨年の欧州での売上高が91億ユーロ(約9200億円)だったのに対し利益が2000万ユーロ、同社の公共政策担当ディレクターが英国での売り上げの詳細を明らかにすると、「信用できない」と切り返した。グーグルが昨年支払った税金は600万ポンド(約7億5600万円)程度だった。

これにはからくりがある。
スターバックスについては、オランダ政府が同社欧州本社に対し、英国でのビジネスから得られるロイヤルティの支払いを受ける代わりに特別税取引を同社に与えているのだ。グーグルの広告スペースはアイルランド共和国のチームによって売られている一方、アマゾンの販売はルクセンブルグで扱われている(英国は倉庫のみの事業)ということが幹部によって確認された。やっていることは「違法」とはいえないが、「道徳的に多いに問題あり」とホッジ女史は切りつけた。
これらの事実からグーグル社の英国代表は、納税回避のためのタックス・ヘイブン(租税回避地)利用を認めた(ところでこのブログのサイトであるBloggerはグーグルにより作られている。ひょっとしてこんな非難するとこのコラム、削除されちゃうかしら?)

この事実は日本や諸外国にも影響があるかもしれない。この3社が各国でどのように納税をしているのかきちんと調べたほうがいいだろう。

今回公聴会が開かれた背景には、国民の大企業に対する怒りがある。英国が財政赤字の縮小に向け第2次世界大戦後で最大の歳出削減を実施しているにもかかわ らず、大企業は税負担を最小限に抑えようとしているからである。オズボーン英財務相は先週、税金逃れを減らすため、国際ルールのさらなる明確化を求めた。ビジネスは、それぞれの国で完結させないと、国際金融や国家財政は崩壊するという論調があるが、まったくその通り。

一方、多国籍企業の徴税逃れ防止に向けた取り組みも始まっている。英国とドイツの両財務相は先週、多国籍企業に「応分の負担」を求めるため、G20の協力を促す共同声明を発表したとか。 有名企業の徴税逃れに、国民からも非難の声があがっている。英政府の緊縮財政に反対する市民団体「UKアンカット」は11日発表の声明で、12月8日実施予定のスタバに対する抗議活動への参加を呼び掛けている。UKアンカットとは、「必要な公的サービスのカットをするな運動」である。これは80年代にアフリカで起こった「構造調整政策」に似ていて、国家の家計簿は表面上、健全に向かっても、教育、保健、福祉の分野まで予算を大幅削減することで国民がどんどん貧しくなるという現象。

このようなご時勢の中、英国だけでなく日本や他の先進国もアフリカと同じ経験をしていくような気がする・・・

2012年11月12日月曜日

それなりの理由?


メルボルンの家のすぐ近くに警察署がある。いつもパトカーが止まっていて、おまわりさんが自宅の近くを巡回してくれるので、防犯上は結構安心して住んでいられる。

この間、買い物から帰ってきたらその警察署の前に馬が2頭いて、それに男女のおまわりさんが乗っていた。この近辺でこの光景は初めてみた。
こんな街中でなんで馬で巡回するの?交通の邪魔にならないのかしら・・・

実はどうも理由があるらしい。
本当かウソかわからないが、Mon mari によると、馬に乗ると高いところから周囲を見渡せるから色々偵察できるとか。たとえば住宅街を巡回して塀の向こうや家の敷地の中を見ることができる。よく言われるのは、大麻栽培とか庭で違法なことをやっているのを馬の巡回でみつけることができるらしい。本当かな?でもありえそう。

今度、おまわりさんに「何で馬にのって見回るのですか?」って聞いてみようかな?

2012年11月8日木曜日

初めての経験



11月6日は「メルボルンカップ」と言われる競馬レースの日である。日本でも天皇賞とか菊花賞とかあるが、メルボルンはちょっと異質なイベント。
毎年この競走の開催日は、メルボルン大都市圏ではメルボルンカップ・デーとして祝日となる。競馬の競走のために祝日となるのは世界でもオーストラリアだけだとか。なんと能天気というか、おめでたい国民なのか。今年はメルボルンカップ・デーが火曜日だったが、月曜は平日でもほとんど休日気分、実質、前の週の土曜から計算して4日連休であった。

メルボルンカップの正式名称は「Emirates Melbourne Cup」という。要はエミーレーツ航空の莫大なスポンサー資金で成り立っているとか。ここまでも中東マネーが押し寄せているとは何とも複雑な気分である。
競馬とは言え、当日は男女とも思いっきりおしゃれをして鑑賞にやってくる。今年は英国のチャールズ皇太子とカミラさんがいらしたので、観客もおもいっきり派手に演出したようだ。

で、Mon mari が火曜の朝になって急にメルボルンカップを見に行こうと言い出した。もちろん、チケットを手に入れるのは無理。どうしたかというと、競技場の横にある少し小高い橋の上からレースを見るのだ。チケットを買えなかった貧しい私たちのような人が外からこっそりのぞくというわけだ。
橋の上には50人足らずの人しかいなかったので余裕でしっかりレースは見られた。


少し遠くからの撮影だったがしっかり馬の滑走は見える。馬は一瞬で走り去るので、この場所でも十分鑑賞できた。実は馬の競争を肉眼で見たのは生まれて初めてであった。実際見ると、とてもしなやかに流れるように走るのである。競馬レースがこんなに美しいとは思わなかったので、とても感動した。今度はチケットを買い、観客席からあらためて競馬を見てみたいと思った。

2012年10月23日火曜日

やっぱりあるんだ・・・


英国料理というと、まずいというイメージが定着している。
かいつまんで言うなら、煮過ぎ、ゆで過ぎ、食物の原型をとどめないものが多く、食材の持つ風味がなく、加えて味つけがない。みな、食卓で塩コショウをかけて自分で味付けをする。やたらと量だけは多く、皿の淵まで料理が盛られている。

アジアでは一般的に宮廷料理がある国は食べ物は必ずおいしいと言われている。その証拠にフィリピンなどは宮廷料理が発達しなかったせいか郷土料理もいまいちおいしくない。
だけど英国には宮廷があるのに、どうしておいしくないと言われるの?悲しいことにお隣のフランスとはあまりにも違い過ぎる。

ということで、世界で英国料理を堪能されることなんてありえないから料理本なども当然ないと思っていたら、なんと「伝統的英国料理」という本をメルボルンの本屋でみつけた。やっぱりあったんだ・・・! 生まれてこのかた、英国料理の本なんて見たことがなかったので、思わず悪い冗談かと思いつつ中身を見て、とりあえず記念に買ってしまった。


やっぱり有名なのはローストビーフ。でも日本人が好きな「ちょっとレア」な赤みを帯びた薄いスライス・ビーフでなく、完全に「ウェルダン」で、少しパサついて、肉も厚い。グレービーをたっぷりかけて、添えはくったりと煮込んだ青物と人参、そしてジャガイモが定番。これはサンデー・ローストと言われ、パブで食べる日曜のランチ。英国人の大好物。


キドニーパイ。これも有名。牛の腎臓をパイで包む・・・というと、少し食欲なくなるかな。
本当にパイの好きな国民だね。



これはカリフラワー・チーズソース。 Mon mari の大好物で、彼が作ったのを何度食べさせられたことか・・・ カリフラワーをベシャメルソースであえて、その上にチーズをたっぷりのっけてオーブンで焼いたもの。まずくはないけど、何となくキャラがないのよね(味の記憶が残らない)。英国人が作るとカリフラワーはくたくたになり、口に入れるとすぐ分解して溶けはじめる(笑)。



そして極めつけは「毛布をまいたマス」。
こんなの見たことも聞いたこともない。マスにベーコンを巻いて焼いたもの。
カリフラワーチーズソースよりは芸があって、なにせ「食物の原型」を保っているのはめずらしい。

とにかく、この料理本は私というより、Mon mari が故郷を思って作る際に参考にするために謹呈した。想像した通り、彼はノスタルジアよろしく、目を輝かせてページをめくっていた。

私がこの本を使うことは多分ないだろう・・・(やっぱり私って偏見あるのかなぁ)。

2012年10月18日木曜日

家にいなくなると・・・


8月末から10月初めにかけて東京に戻っていた。
その間、メルボルンと田舎の家はMon mariがマネージをしていた。
大工仕事や自分の趣味に関することはシコシコするので、戻ってくると壊れたものが直ってたり、動かなかったエンジンが再起動するという現象はあるのだが、なにせ、家の中は一言で表すなら、「地獄絵図」状態となる。

ダイニングテーブル、キッチンカウンター、ソファ、コーヒーテーブルなどは隙間も見えないほど、物や紙で覆い尽くされている。キッチンカウンターはバイク部品や工具などのオンパレードで、ほとんど作業場に変身していた。
床のチリ、ホコリはもとより、キッチンシンク、バルスームなどの水回りもかなりのマグニチュード。
もうどこから手をつけていいのかわからない。とりあえず掃除は1-2日して落ち着いたころゆっくり始めようと思い、今日の献立を考えるために冷蔵庫を開ける。何やら変なにおいがするのでよく見ると、腐った野菜や加工品などがゾロゾロ出てきた。唯一、腐りはしないがほとんど化石ステージに突入し始めたニンジン君が長いヒゲを伸ばしてひっそり野菜室に寝かされていた。あー、これは2か月前にうちに来たニンジンだね、よく頑張って待っていてくれた、とつぶやきながらピーラーでむいて、グラッセにしてあげることにした。

1か月以上家にいないでOzに戻る時は大きな覚悟が必要である。

2012年10月10日水曜日

社会的企業


メルボルンの家の近所に最近発見したユニークなカフェ「Streat(ストリート)」。
もう1年以上この近辺を練り歩いていたにも拘わらず地味な入口のせいか全くここの存在を知らなかった。たまたまうちに出入りしていた業者のおじさんからこのカフェの存在を聞いたのでMon mariと行ってみた。

簡単に言うとこのカフェはホームレスを支援している。支援と言ってもお金や物を寄付するのでなく、ホームレスの人たちを雇用して、そこで職業内訓練(On the job training) をする、いわゆる社会的企業(Social Enterprise) と称される事業である。
現在、メルボルン市内に3店舗ある。各店舗には資格のあるシェフが常勤し、雇用したホームレスに対して、調理からサービス、経営の面まで指導している。
ホームレスと一口で言ってもいろいろな人がいるが、基本的には若い人たちを優先するようである。彼らに技術を身につけさせて自立を促進することで自信を持ち、ホームレスの環境から抜け出せるように支援するのである。

で、そのカフェだが、ホームレスによる食事?なんて聞くとたいしたことないように思えるかもしれないが、これが意外、そんじょそこらのカフェよりずっと内装もおしゃれで、メニューも創作料理顔負けの食事が並んでいる。コーヒーも独自で焙煎し、日替わりで世界中の豆が提供されている。


私が注文したのは、味噌味豆腐乗せのサラダ。みかけより珍味で美味だった。お値段も15ドル前後でしっかりと利益が出るような価格設定である。



ここで働いている人たちは4-5人くらいで、最初に行った時は全員若い男性だったが、二度目は女性も交じっていた。腕に派手なタトゥもある人やパンク調カラーのヘアダイをしている人もいて、普通のお店なら絶対に雇用されない人たちだろう。 ただしホームレスと言っても路上生活者ではないようで、多分、シェルターなどに居住しているのだろうか、きちんと清潔的なみなりをしている。


受け入れる社会や人々がなければホームレスから抜け出ることは容易ではない。特に未来のある若い人たちを支援して貧困の悪循環を断ち切ることは大切である。
こういう活動が日本や世界のあちこちにできるといいのに・・・

Streatの情報はここから見られます。もしメルボルンに来ることがあったら、ぜひ立ち寄ってください。

2012年9月30日日曜日

海ほたる?


この写真・・・
うちの田舎の家の近くの海に、天然ガスのリグ(掘削用の海上建物)があるのを知った。
えー、これってはるかかなたのシナ海とか、メキシコ湾とかに時々浮いて思われるシロモノ?
こんなのがうちの近くにあるの?

知ったきっかけはこのリグの中で最近2人が事故死したことがニュースで報道されてたから。
Mon mariによるとそれなりの望遠だと家のバルコニーから見られるとか・・・

オーストラリアの海というとはてしなく広がるコーラルブルーというイメージしかなかったのが、意外にこんなリグが時々に浮かんでいるそうだ。知らなかった。まあ資源国なので当然と言えば当然かな?

うちの近所の海ほたる、今度見に行きたい・・・

2012年9月18日火曜日

どこで咲く?


今読んでいる本、「置かれた場所で咲きなさい」。
著者は元ノートルダム清心女子大の学長の渡辺和子さん。

こころの栄養になるような言葉が詰まっている。

「置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。どうしても咲けないときもあります。そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと下ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。

境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる」

「信頼は98%。あとの2%は相手が間違ったときのゆるしのためにとっておく。」

「今日より若くなる日はない。だから今日という日を、私の一番若い日として輝いて生きてゆく。」

「苦しい峠でも、必ず下り坂になる。」

「一生の終わりに残るものは、我々が集めたものでなく、我々が与えたもの。」

このところ、落ち込みがちだったので、これらの豊かな言葉で励まされて少し元気になった感じ。

2012年9月11日火曜日

アジア女子会


先日、近くの友人リスダから「B&Bを経営している隣村のメアリの家でランチするから来ない?」とお誘いがあった。リスダはインドネシア人、私の村にいる唯一のアジア人。
で、そのメアリという人は誰なのかは知らなかったが、とりあえず行ってみた。
名前からしてオージーかと思ったら、なんとマレーシア人だった。ハビーがオージー。
そしてよく見ると家の奥には何と、アジア美女が勢ぞろいしていた(メアリがシャッターを切ったので彼女が写ってないのが残念)。

私:「えー、こんなにアジア人がこの村にいるの?」
リスダ:「ちがうのよ、隣町(村でない)とそのまた隣町から来ているの、彼女がインドネシア、彼女はマレーシア、彼女はタイからなのよ」とそれぞれ紹介された。
懐かしいバハサ・インドネシア語、涙が出るほど嬉しくておしゃべりに花が咲いた。

みんな、オージーと結婚してここに住んでいるが、やっぱりアジア人の友達が恋しいのね。
しかしアジア女性が集まると、食事の質がグンと上がる。
持ち寄りのランチは、東南アジア宮廷料理さながらのレベルだった。
アジアの妻を持つオージー夫は本当に幸せだろうな、とつくづく思った(手前味噌)。

アジア女子会、これからもながーく付き合っていきたいな。

2012年9月1日土曜日

悪夢再来


昔、パリにいる頃、Mon mari が突然バイクを買ってきた話をした。
最近、その悪夢がまた再来した。
Mon mari の友人が最近、Ducatiを購入したら、彼も羨ましく思ったのか、Ducatiを衝動買いをしてしまった。まるで子どものよう。別の子のもっているおもちゃを見ると欲しくなりすぐ買う。結局、皆同じものを持つようになる。

またバイクを買うと言えば私が思いっきり大反対することを知ってたので、彼は内金を入れたあと「買うかもしれない」というムニャムニャ告白。
その翌日、隣町のバイク屋に連れて行かれた。
「ナナハン、イタリアのトリコロール、カッコいいでしょ?スゲェ速いゼ!」と盛んにMon mari と店の兄ちゃんが私に言う。もうこれでたぶん、15台目くらいのバイクかなぁ。今もっているほとんどがレース用のクラシックバイクで一般道路を走ることはほとんどなく車庫と倉庫に眠っており、まるでバイクの霊廟である。一体、いつ走るのかと思いつつ、このDucatiはちゃんとナンバープレートを取得したので、一般道、つまりグレート―オーシャンロードを滑走するそうだ。私も後ろに乗せる予定らしく、2人乗りの椅子に変えるとか・・・ 遠慮しておきたいところ。

しかし乗りもしないバイクをしこしこ集め、部品を集めてしこしこ修理することに喜びを感じるるこの習癖、到底理解できない。
バイク好きの友人にこの話をしたら「女性が宝石類を集めるとおんなじだよ、普段ほとんど身につけない高価なネックレスが宝石箱に眠っているのを見るだけで満足するでしょ?」と言った。
そうか・・・ そう言われればなんとなく想像できる。

ちなみに、Mon mari の友人で同じくDucatiを買った友人はバイクを買ったことを彼のパートナーに言ったら、「Old Shit Bugger ! (このくそおやじ野郎!)」と言われたそうだ。

こういう時に思いっきり嫌味を表す英語を私も言えるといいんだけど・・・・


2012年8月26日日曜日

きつね~ その2


前にきつねの話をした。
もともとオーストラリアにはきつねはいなかったが、移民とともに英国人が持ち込んだ。しかし、きつねは子羊や子牛などをかみ殺して、農民に損害を及ぼすので厄介者として野犬と同様に嫌われている。
お隣のジョンさんも羊を飼っているので、きつねを見ると銃殺するそうだ。家畜は資産、資産を奪うものには容赦ない。

この間、運転していたら、突然、牧草地の有刺鉄線に変な物体がぶら下がっているのをみつけた。
よく見るときつね。
殺されたうえに、見せしめにされている。何ともあわれ。
それから数回この鉄線の前を通過したが、もう1か月近くはこの状態。今は毎日寒いのでご遺体はそれほど腐蝕せずきれいな毛皮も残っている。顔からは少し骨が見え始めているけど・・・

自然界は本当に厳しい。

2012年8月21日火曜日

田舎のコミュニティ


先週末、隣のBeech Forestという村でコンサートがあった。オーストラリアの農村部はとにかく住居が点在しており孤立しやすいので、日ごろから人々の触れ合いや、文化的、芸術的なイベントを積極的に導入している。
まず、コンサートに行く前に近所の仲間たちとパブで食事をする。田舎の人たちって写真のような感じ。飾らず、気さくで、とにかくおしゃべり好き。近所のゴシップとなったらもう止まらない。どこの世界も同じだなと思う。パブのオーナーは結構料理が上手で、オーストラリアの田舎のスタンダードからすると、1つ星くらいはあげたい。
 

隣に座ったトニーさん。我が家の電気工事をしてくれた。今は2件目の自宅を自分で建設中。
ガタイが大きく、サンタクロースのような髭から結構怖そうに見えるが、実はとても暖かく、紳士的。でも頼んだステーキは恐ろしい量。たぶん、日本のレストランのステーキの3倍はあるね。
No wonder he's got a stocky body...

さてお腹がいっぱいになってからBeech Forestのコミュニティ・センターに行く。
コンサートは、Dave Steelというカントリー・ブルースのシンガー。


最初に前座があった。何とそのバンドのボーカルは、私たちの郵便物を毎日配達してくれるキムだった(右から2番目の女性)。意外な、というか隠れた能力にちょっと驚き。でもなかなか迫力あるボイスだった。
バンドの紹介をしている舞台下の司会の男性はオーストラリアでも有名な俳優らしく(名前は忘れた・・・)、この田舎村に住んでいるらしい。

Dave Steelのカントリー・ブルースは、Welcome Wagonというバンドとともに最高の演奏を見せてくれた。カントリー・ブルース・・・あまり耳にしたことはなかったが、これから聴きはじめてみよう。


2012年8月16日木曜日

卒業式


昨日、メルボルン大学の卒業式に参加した。
コースは昨年全て修了したのだが、卒業式の招待状はずいぶん時間が経って忘れた頃に送られて来た。

実は大学の卒業式は学部生以来参列したことがなく、英国での修士、博士とも参列していない。
なので、今回はあのあこがれの「レガリア(Regalia)」をぜひ着たくて、出席することに決めた。

メルボルン大学は毎年8月と12月に卒業式がある。12月の方が出席者も多く、盛大らしいが、今回も十分盛大だった。 学部生、修士生はフロアに着席するが、博士号は檀上に座らされ格別の扱いを受けるのだ。羨ましい~


檀上に上り、学長から卒業証書をもらう私。
卒業した学部・コースにより肩にかけるフードの色が異なる。私はHealth Scienceなので、紫ピンク。私の好みの色でうれしい。


 フードした後ろはこんな感じ。


学部生はローブは着るが、帽子はなし。修士学生は角帽、そして博士号はベレーを大きくしたような印象的なデザイン。

あーでもやっぱり博士号のレガリア(下の写真)はかっこいい。私も頑張って英国まで行って、これを着るべきであった・・・ 今からでも卒業した大学の博士レガリアを買って、家でコスプレでもしようか・・・?
ちなみにメルボルン大学の博士号のレガリアのデザインはオックスフォード大学と同じとか・・・
博士号の帽子は愛くるしく可愛いね。


2012年8月4日土曜日

型破りの学会


今日、メルボルンで「心理社会的産婦人科学会(ASPOG)」たるものに出席した。
主に昨今の女性の健康に関するイシューが議論された。産科では妊婦の肥満が深刻な問題になっており、日本の痩せ妊婦とは対照的な現象がオーストラリアにはあるそうだ。

今回の学会の目玉は最終日の午後に行われた「性器の美容形成の是非について」のセッションだった。
若い女性だけでなく、中年以降の女性も自分の性器の形や色を気にして、美容形成やホワイトニングをする人が増えているという。この現象をどう捉えるかの白熱した議論が展開された。
大多数の人がやっているというわけではないが、この悩みをGP(一般医)にも打ち明ける女性が出始めているそうだ。

議論は、男女の役者の寸劇から始まり、檀上のパネラーのディスカッションに移る。ここで驚いたのは、パネラーはGPや産婦人科医、リプロダクティブ・ヘルスの大学の研究者の他に、メルボルンのBrothel (娼館)で働くセックスワーカーの女性(テーブル左端)も参加したことである。セックスワーカーと言っても派手な雰囲気はまったくなく、ごく普通の町に歩いている女子大生のような人で、最初は目を疑った。日本などでは、学会に例えば風俗の女性が来て性感染症の予防の話や意見を語るなんていうのは絶対に死んでもあり得ないこと。このオープンさは一体、どこから来ているのだろう?

まず議論はなぜ人は隠れた部分に極度にこだわるのか?という疑問から出発した。会場からは、いわゆる「ブラジリアン・ワックス(局部を剃毛すること)」についてジョークを混じりながら口火が切られた。ある人は「要はアソコをフロスしたいのよね(デンタルフロスのように隙間掃除すること)」と言い、参加者を一同爆笑させた。 こだわりに関する男女の違いでは、セックスワーカーの女性から、「店に来る男性の客は、女性にヘアがあるかないかを聞くことはあっても色形まであれこれ聞く人はいない」そうだ。ちなみにそこで働く全ての女性は剃毛しているそうだ。「私自身は身体のあちこちを改造しているけど、アソコの美容形成はまだよ!」とのこと。あー、なんと生々しい話。これって本当にアカデミックな学会?
                                
美容形成については、英国の40代の女性の手術事例のビデオを参考に、「新しくできた恋人にステキにみせたい」という理由で彼女が受けた美容形成に対する心理について議論が交わされた。パネラーだけでなく参加した女性たちは「何でそんな隠れたところの一部分に執拗にこだわるのか、自分の部分をそんなしげしげ毎日みるわけじゃないし・・・、朝仕事に行く前に鏡で顔や姿形はしっかり見るけど、自分のアソコを毎回チェックして出勤することはないわよね」など。皆の笑いを誘いながらもこだわりへの否定的な意見が多かった。
一方、男性参加者からも「男性としてそんなところの良し悪しを気にすることはない」「考えたこともない」など、女性ほど男性は気にしないという意見が多かった。
モナッシュ大学のリプロの研究者からは「ここにいる人たちは気にしない、という意見が大勢だけど、確実に一般の女性にはこだわりが増大している。倫理やあるべき論の問題ではないのよ、この現状をどう把握して、臨床の場でどう対応するのか、が今後の研究課題でもあるわ」と指摘していた。

とういうことで、議論の結論は出なかったが、今まで学会などでオープンに話されなかったことだけあって、主催者は、ついにパンドラの箱を開けてしまったという感じである。

ところでこの学会でもらった資料一式バックの中に下のような物が入っていた。なんだろう・・・と友人とよく見たら・・・




性交時の潤滑ジェルなのでした。
一緒に行った友人は独身でパートナーもいないので不要だから、自分の分を私にもあげる、と言ったけど、「いえいえ、私もそんなに必要ないと思います」と言って、丁重にお断りした(笑)。
しかし、学会でこんなおみやげをもらうのは初めて、すべてが大胆というかあっけらかんとしているのでただただ圧倒されるばかりだった。

最後にもう一つ。
学会の会場のトイレのドアの張り紙。


トイレの便座の上は座るもので、足ごと乗り上げて座るものではありません、という注意書きである。えー、メルボルンでもこれをやっている人がいるんだ・・・アジアの国々ではよくあるので、便器の上のカバーをわざとつけないで、はずしたまま(男性使用の状態)になっているのを見る。
それなら、日本のように和式用、洋式用のトイレを作ればいいのよね。確か、フランスではいわゆる和式風のトイレが公衆トイレに時々あったな・・・

2012年7月30日月曜日

おかあさんといっしょ


このところあちこちの牧草地は子羊ラッシュである。地元の人はラムシーズンという。
羊が一斉に同じ時期に子どもを産むのか、計画出産させているのか、とにかく羊の群れの中には可愛い子どもがたくさんいる。この光景を見るとこれからはラム肉とか食べられなくなりそう。



お母んに必死にすがり着いてあちこち移動する子羊。
たまに群れの中で迷子になると、「メーメー(お母さんどこ?」と子は泣き叫び、そうすると母は「バーバー(ここよ)」と返事をして、二匹は所在を確かめ合う。


少し柵に近づいてカメラを近づけると、子どもとのんびり座っていた母がさっと立ち上がり、こちらを凝視する。「これ以上近づくないでよね」オーラをムンムンさせて、逃げようとする。子どもはボーッとしていて、母親が「ほら、人間が来たよ、早く逃げなくちゃ」と言っているようで、何のことやらわけもわからず、のそのそと立ち上がる。
そして「天敵の到来よ~」と言わんばかりに「バーバー」と群れに向かって鳴き叫び、仲間に移動するように伝える。母の子を守るパワーはすごい。

おかあさんといっしょ、どこの世界も一緒ね。

2012年7月20日金曜日

何に見える?


Mon mari が大好きなサラダあげせんべい。
最後の一枚を食べようと思って袋から開けてみたら、おもわず目が固まったとか・・・

Mon mari: これ、何に見える?
私: えー、何となく意味深な形・・・ 人間の下半身かなぁ。
Mon mari: お尻に見えない?
私: お尻・・・いや、前の部分に見えるけど・・・
Mon mari: とにかく珍しい形でもったいないから食べられなかった。記念に写真とっておいてね。

くだらないとおもいつつも、しっかりカメラに収めた。それをブログに載せる私も相当ヒマ人ですね。

2012年7月5日木曜日

フォークとナイフ


その昔、ン十年前、英語学校に通っていた頃、先生が西洋文化や習慣について教えてくれる時間があった。その中で「フォークとナイフの使い方」の一コマがあった。使い方というと大げさで、そんなの私たち日本人も知っているよ、と思ったが先生が言わんとしたことは、アメリカ式とヨーロッパ式の違い。
先生はフォークとナイフを持ってきて、黒板の前にそれらを手にして見せてくれた。
「アメリカ式はね、最初にフォークとナイフをもって、ナイフで全部切っちゃうの、そしてその後、左手に持っていたフォークを右に持ち替えて、右手で食べるのよ、でもヨーロッパでは持ち替えずにナイフとフォークを両方の手で持ったまま、左手のフォークで食べるの」と。

実際に欧州人は確かに持ち替えずに両方の手を使って最後まで食べる。昔は米国式の方が簡単だから、私も持ち替えて食べていたが、欧州に住んで、欧州の夫を持つことで自然と両手を使うようになった。

しかし最近、この両手を使うフォークナイフがとみに面倒になっている。西洋人は子どもの頃から使っているので、小さな豆や細かく刻んだものでもナイフで丁寧に寄せてフォークに上手にのせて食べる。不器用な私はこれが結構苦手なのである。結局、拾いきれない小さな食べ物を残すことがある。面倒になると切る必要のないものは右手にフォークを持ちかえて米国式になってしまう。つまらないことだが、私には結構、厄介な問題になりつつある。

というか、いっそう、全部箸で食べたいと思うのことが多くなった。やっぱり年取ったのかな・・・